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第41回  ●再会



マラネッロのフェラーリ・ファクトリー。すぐ近くのテストコースから、空に轟くフェラーリF1の甘美な調べが聞こえてくる。
もう5、6年も前になると思う。マラネッロの『ガレリア・フェラーリ』の扉を押して外に出てきた時のことだった。ひとりの初老の男が話しかけてきた、それもあたりを憚るような小さな声で。フェラーリのドキュメント類に興味があるなら、とその男は足元に視線を落としながら囁いた。このリストにあるものは全部持ってるから。一度、家に来ないか……。

  見るとその男は、当時の『ガレリア・フェラーリ』のスタッフがみなそうだったように、跳ね馬の刺繍の入った赤いポロシャツを着ていた。小声のワケがピンときた。正規のフェラーリの社員が、自分のサイドビジネスのために、目ぼしい客に声をかけているのだった。それも勤務時間中に。

  手渡されたリストには、ところどころ黄色の蛍光ペンで印が付けられていて、手書きの文字がまるで空白を憎むかのような勢いでビッシリ並んでいた。それはフェラーリの歴代の車両のカタログ、プレスキット、ワークショップマニュアル、ポスターなどのタイトルで、すべてフェラーリ発行の正規物だけが網羅されていた。あらゆる印刷物にフェラーリがつけるあの独特のナンバー、発行年、そして発行部数も、もちろんそこにある。コレクターにとって何が重要な情報なのか、この男は知っている。

  怪しいなあ、と思って、適当に相槌を打って、そそくさとその場をあとにした。だいたい訪ねて来いなんて面倒くさいんだよ、なんてブツブツ言いながら、当時使っていたボロボロのY10に乗り込み、もう一度だけリストに目をやってみた。凄いなあ、と思った。250GTOのカタログなんてのもある。凄いねぇ……。でも、そう思っただけで、僕はそのリストをクシャクシャに丸めて、ガレリアの駐車場脇のゴミ箱めがけて投げ飛ばしていた。

  その頃のフェラーリには、日向ぼっこのような優しさがあった。僕のような並行輸入業者にも、正規のインボイスを発行して、いわゆる「業者への値段」でフェラーリのガジェットのあれこれを販売してくれた。もっとも今のように次から次に新製品が出るわけでもなく、その商品レンジもどちらかというとおざなりなものではあったけど。

  それでも僕は小さなY10の後部座席とラゲッジルームがその都度満載になるほどに買い込んだ。ガレリアの人々も特別に配慮してくれて、商品の積載のためには部外者の入れないバックヤードまでクルマを乗り入れることも許してくれた。そうして彼らの手助けを得て、お互い他愛もない冗談を飛ばし合いながら後ろがまったく見えなくなるほどに積み込んで、僕は満ち足りた気持でトリノに向かう約400kmの道のりをトコトコ走って行った。

  それは名にしおう世界のフェラーリと名も知れぬ極東の男の、つかの間の蜜月にしか過ぎなかったのだけれど、その頃の僕はそれがいつまでも続くと信じるほどに単細胞で、そんな状況に有頂天になっていた。

  だから必要がなかったのだ。怪しい男の誘いに乗ってノコノコ出かけていくなんてことは。


☆☆

覗き込む。目を凝らしてじっと覗き込む。鉄道少年が電車の運転席に目を凝らすのと同じか。気持、わかるよね。
  状況が少しずつ変わっていったのは、2000年にフェラーリがF1のチャンピオンシップを獲ってから以降のことだ。いろんなガジェットが速射砲のように販売されるようになり、ライセンス商品に至ってはもう数えてみるのもイヤになるほど氾濫するようになった。商売になる、と踏んだフェラーリ(の誰か)は、『ガレリア・フェラーリ』での商品販売だけでは飽き足らず、工場の正門前にホテルを併設した『フェラーリ・ストア』をオープンする計画さえ明らかにした。

  ある秋の日、『ガレリア・フェラーリ』を訪れた僕は、懇意にしてくれていたスタッフの案内で1kmほど先の小さな事務所に連れていかれた。会ってほしい人がいる、と。慌しく人の行き交う、活気のある事務所は、なんのプレートも掛けられていない建物の2階にあった。

  ほどなく流暢な英語を操る30代とおぼしきビジネスマン風が現れて、「面接」が始まった。東京の店のことをいろいろ訊かれた。1年間にどれくらい買えるか、とも訊かれた。それは突如現れた「違和感」だった。なんだこれは、と戸惑う僕を前にして、彼は今後の販売条件をにこやかな笑顔とともに並べ立てた。

  うわの空だった、と思う。その時僕はあの「違和感」の口から滑り出てくる言葉なんて聞いていなかったのだ。『ガレリア・フェラーリ』のスタッフ達との日向ぼっこの日々が、まるで子供の頃の砂場遊びのような無邪気さにしか過ぎなかったんだと、そのことに気付いて打ちのめされたような気になっていた。フェラーリ(の誰か)はF1を制覇して本気になったのだ。自分たちのブランドを自由に遊ばせておくことはない。ライセンス商品だっていい。そのマーケットを無視するな、と。

  白い合板で出来た安っぽいテーブルの前で、なんだか急速にフェラーリに対する熱意がしぼんでいくのを感じていた。「違和感」がこちらを覗き込むようにして言った。ただし、初回の取り引きはノーディスカウントです。あなたの情熱を知りたいから……。なんなんだよ、それ。憮然とそれを聞き流して、もういいや、もういいよな、と自分に繰り返す。もう納得しろ、と自分に言って聞かせる。僕は精一杯の作り笑いとともに席を立った。わかりました。ありがとうございました。

  事務所をあとにして、ぼんやりと歩いた。どこまでも広い秋の空の下、遠い日本を想う。そんな自分がひどく頼りない。しばらくして『ガレリア・フェラーリ』の駐車場までクルマを取りに戻ると、入口の前にはカメラを首からぶら下げたアメリカ人観光客の一団が、ガレリアの手提げ袋を持ってワイワイ騒いでいた。ガレリアの写真を何枚も撮り、自分たちの笑顔いっぱいの写真をまた何枚も撮る。みんなフェラーリが大好きなんだ。

  クルマを駐車場から出す。『リストランテ・カヴァリーノ』に続くイイ加減な舗装の道端を、赤と沈んだグレーのツートンのつなぎを着たフェラーリの工場従業員が、咥えタバコでとぼとぼと歩いていく。リストランテの入口の前には、その日も紛い物のフェラーリ・グッズをクルマで売り歩く男が、堂々と店を広げていた。よっ、いいぞ、頑張れ。

  そんな見慣れた光景、隙だらけのフェラーリの光景を、その日もそれまでと同じように見ることができた。だけど僕は断言する。その時を遡っていつかどこかで、フェラーリはあり余る時間を失って子供が大人になるように、見事に成長して見せたと。そして当たり前だけど、二度と砂場になんて戻ってくることはなかった。


☆☆☆

ペッローニさんのとっておきの部屋。右も左も前も後ろも、そして上も下も全部フェラーリの部屋。レースを闘ったフェラーリが彼の命だ。
  この10月に初孫が生まれるので、その日ペッローニさんの奥さんは娘夫婦の家に行って留守だった。そういう時には必ず二人分のエスプレッソカップをテーブルの上に置いて、あとはただ淹れるだけにしておいてくれる。

  その日もそうだった。ペッローニさんは訪ねていった僕の顔を見るなり、カフェ?と訊いて、あらかじめ用意されていたカップをエスプレッソメーカーの上に置いた。スイッチをカチッ。そしてちょっと得意げな顔をこっちに向ける。いいよね、ペッローニさん。僕はそういうところがたまらなく好きだ。

  そうして淹れてくれたエスプレッソを、少し腫れ気味の扁桃腺をいたわって飲んでいると、今日は時間があるか、と彼が言う。時間があるなら、これから連れて行きたい所があるんだけど……。

  何処に?という僕の問いには、近くだよ、と素っ気なく言って、それから言葉を継いだ。きっと興味を引くものがあるよ。でも、気に入らなければ買わなくたっていいんだから。買わなくっていいんだよ、買わなくって。

  フェラーリ公認のモデルカーを作る元スカリエッティの板金職人ペッローニさんは、こんな時、縁側で時間を弄ぶ隠居したおじいさんのように優しい。その透明な優しさと、簡単な足し算だっておぼつかない「計算低い」とこが、誇り高きスカリエッティ叩き上げの板金職人としての彼の道のりを、よけいにキラキラと輝かせている。

  ということで、ペッローニさんのオペルで出掛けた。モデナ・スッドからモデナ・ノルドに向かって、ゆっくりと走っていく。ダッシュボードにはところどころに、フェラーリのステッカー。子供が手当たり次第に机に貼るシールのように並ぶ。ペッローニさんらしいなあ、と思う。サスペンションを捨ててしまったかのようなオペルは、モデナの田舎道の穴ぼこに落ちると、まるで爆撃をくらってバラバラになりそうな感じで揺れる。『エンゾ・フェラーリ公園』の前を左折する。そしてほどなくしてもう一度左折。クルマはそこで行き止まりの門を前にして停まった。ここだよ、と言うペッローニさんに促されてクルマを降りる。

  門を入ると左手のベンチに、老婦人が今そこを流れる時間に溶けていこうとするみたいに腰掛けていた。ルチアーノのお母さんだよ、とペッローニさんが言う。ボンジョルノ、と彼女に声を掛けるペッローニさんの横で、ルチアーノ?と僕は自分に聞いてみる。知らない。初めて聞く名前だ。

  外玄関を開け、ぴったり10段の階段を上がって、それから内玄関をノックする。しばらくしてスーッとこちら側に開いたドアの向こうでニコニコしている初老の男と目が合った。あっ、と声を上げそうになった。

  覚えているよ。覚えているか?とその男が言った。もちろん覚えていた。『ガレリア・フェラーリ』の前で小声で話しかけてきたあの日の怪しい男、そこにいるルチアーノさんこそが彼だった。

☆☆☆☆

マラネッロのお昼休み。バールで簡単な昼食を済ませて、あとはダベって過ごす。午後の工場内で彼らを待っているのはF430だろうか。
   知っていたのか、とペッローニさんが目をパチパチさせているのにもお構いなく、ルチアーノさんは彼のコレクションルームへと僕を案内した。途中、廊下の壁に掛けてある砲丸投げの選手の写真に目を留めると、若い頃にユニバーシアードで優勝したことがある、と誇らしげに胸を反らせた。とにかく見てくれ、と急かされて、部屋の中に入った。

  もうフェラーリは定年で退職したから、新しいものはないよ。という彼の言葉を聞いて、僕は記憶の底にあるあの几帳面なリストを思い出そうとした。確かにあのリストにあったものは、ここにあるのと同じようなものだったなあ、なんて思った矢先、ルチアーノさんはあの日僕がゴミ箱に放り投げたのとおそらく寸分違わぬリストを、僕の前に持ち出してきた。いくぶん色褪せたように見える蛍光ペンの黄色、懐かしい。

   いろいろお金が要るんで、と彼はもみあげのところをいじりながら言った。でも、あの棚にあるものは売れないよ。あれは死んだ時に棺に一緒に入れてもらうんだよ、と言うと大声で笑ってみせた。どう考えても、もうひとつ棺がいりそうな大量のカタログ類だった。

  ルチアーノさんがそれをどうやって集めたのか、僕は知らない。でも、彼のコレクションは隙間だらけだった。フェラーリの60年近くに及ぶ歴史を辿れるほどには完璧なものではない。もう随分売ってしまったのだろう。どうでもいいようなリーフレットや入場券の半券など、金を出して買うほどのものではないと即断できるようなガラクタ混じりだった。

  でも、そんなガラクタを含めて、年代順に付箋を付けて、きちんと並べて管理しているところが、あのリストの主である彼に真っ直ぐに繋がった。ルチアーノさんはフェラーリに勤め、フェラーリは買えなかったけど、こうやってフェラーリを集めていたのだ。

  君が値段をつけてくれ、私には価値が分からないから、とルチアーノさんは、僕が選んだいくつかのものをテーブルに並べると、両手を広げた。そして全部、僕の言い値で譲ってくれた。

  帰りの門の所で、また来てくれ、とルチアーノさんは大きな手で包み込むような握手をしながら言った。その姿にはペッローニさんと同じく、フェラーリという魔性にぎこちなく、しかも一途に時間を捧げたイタリアの男の、ある種のどうしようもなさが滲んでいた。参るんだよ、こういうのに。僕はどうにもこういうどうしようもなさに弱い。

  企業としてのフェラーリを呈したあの「違和感」の立て板に水の弁舌よりも、だけどそれはずっと本物のフェラーリに近い。僕らが好きだったフェラーリ。そうさ、フェラーリなんてろくでなしなんだよ、でも君よりはマシな。へへッ。あの時よりちょっぴり物分りの良くなった僕は、マラネッロの今はもう懐かしくさえある「違和感」に向かって、ペロっと舌を出した。腫れた扁桃腺がちょっと痛かった。




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