イタリア自動車雑貨店
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第35回  そこにある暮らし



2月。ロベルトさんの工房にて。左からアンジェラ、フランコ、カティア。後列でにやけてるのが本邦初公開のわたくし。
5月。ユベントス優勝!サンカルロ広場の熱狂。
7月。ヴォルタ家の広大な庭。ワークス037。このままラリー出場も可能なベストコンディション。MARTINIストライプはイタリア車だからこそ似合う。
ABARTH131とヴォルタさん。ここは飛行場です。
2002年、2月。2日間だけパリに滞在して、慌しくトリノに向かった。パリではこれといって仕事上の収穫もなく、ため息ばかりが出た。そんな晴れない思いを引きずってトリノ空港に到着する。バゲッジクレイムから荷物を拾い、空港の到着ロビーから一歩外に出た瞬間、足下から吹き上がってくる冷気の洗礼を受けた。トリノの冬だ。弛緩したこころがシャキっとして、背筋が伸びる。頑張らなきゃ、と思う。こうして、2002年の僕のイタリア物語が始まった。

 ロベルトさんの工房に顔を出すと、見慣れない中年の男が働いていた。アンジェラさんがそばに来て、私の夫のフランコです、と紹介してくれた。ああ、そうだった、アルドさんに代わってここで働くことになると聞いてたな、とその時思い出した。55歳の受給資格を得て早々に年金生活を選んだアルドさんの後任に、アンジェラさんは自分の夫を是非とロベルトさんに頼み込んだのだった。私が責任をもって「指導」します、と。

 フランコさんはペンキ職人だった。屋外の大きな看板や建物の外壁なんかが専門で、だから当然高さのある所で仕事をする。アンジェラさんはよくそれを心配していた。もう歳なのに、冬は寒いし、いつ落ちるかもしれないし、それに朝早くから夜遅くまでだから……。

 貧しいサルディーニャの村からトリノに出てきて30余年、履歴書に書けるような学歴なんてこれっぽっちもないけれど、アンジェラさんには薄っぺらな履歴書には収まりきらないほどに、世間の風の中で学んできたものがたくさんあった。周囲の状況にいつも目を配り、機転を利かせて先へ先へと仕事を進める彼女の働きぶりは、ロベルトさんからは絶大の信頼を勝ち得ていたけど、実学に長ける人にありがちな説教じみた厳しさも併せもっていたから、それゆえに一緒に働く若い人には少々難しいところもあるようだった。

 アンジェラの推薦だから、とロベルトさんは自分に言い聞かせるように言っていた。アンジェラがいい先生になるだろう。その言葉にはほんの少しだけ、夫婦が同じ職場で働くことと、それによる周囲への影響を危惧する響きがあった。家内工業と言っても差しつえないほどの規模だから、ほんの少しの糸のほつれも、すぐに大きなほころびにつながる、その心配は当然だっただろう。

 だがしかし、結果的に、それはすべて杞憂だった。僕がフランコさんに初めて会った2月のその日、アンジェラさんはことのほか厳しく梱包の方法をフランコさんに「指導」していた。その厳しさのかなりの部分が、周囲に気を遣っているがゆえのものなんだろうって、それはわかりすぎるほどにわかる光景だったけど、まわりの人間も知らぬふりをしてアンジェラさんのそんな気苦労にこたえていた。

 フランコさんも僕が初めて会った2月こそ、新しい環境にまだいくぶん戸惑いもあったようだけど、時間が経つにつれて、自分の微妙な立場を上手にロベルトさんの工房に溶け込ませていった。夫に対するアンジェラさんの接し方も、肩肘張ったようなところが少しずつ薄れていって、ずっと自然なものになっていった。

 ところで、フランコさんは、しっかりものの妻を持つ男の典型と言ってしまえば確かにそうで、周囲にあまり頓着せず、というようりはすべてにゆっくりしていてマイペースで、会話の一瞬の間合いを計って自説を披瀝したがるイタリア男とは、ちょっとニュアンスが異なっていた。そういう意味で、日本人の自分には接しやすいタイプの人で、それに何よりも、彼が喫煙者であることが僕には嬉しかった。ロベルトさんの工房には、それまで喫煙者はひとりもいなかったから。

 禁煙の作業場からガレージに通じるドアを開け、外に出たすぐの所、そこがフランコさんと僕の喫煙スペースになった。雨の日は、そのドアから30センチほどの軒下がかろうじて濡れずにすむ場所なので、ドアに背中をつけるようにして、そしてただぼんやりと雨空を眺めたりしながらタバコをくわえる。

 そんな時に彼はよくペンキ職人時代の話を聞かせてくれた。ピニンファリーナの看板を作ったこと、マルケ大通りのアバルトでも仕事をしたこと、そんなふうに彼の話はみんなみんなどこかでクルマにつながっていた。フランコさんは僕が興味を持てそうな昔話を記憶の底から摘み取ってきては、その実をほぐして聞かせてくれているようだった。

 軒下のドアに背をもたせかけて、二人の男が雨空を見上げながらタバコを吸っている。どこか滑稽でもある図だけれど、僕はそんな時間が好きだった。フランコさんの言葉が、静かに、しっとりと、過ぎた時代のトリノの香りを雨にのせて運んでくる。

☆☆

ここがヴォルタ家。この奥、地下に工場があります。そんなふうには全然見えません。
置いてあるのか、捨ててあるのか、少なくともここ2年間、ずっと同じ位置にある037のカウル。
ヴォルタさんの手。こんなふうにして、メカニカルな部分を一生懸命説明してくれます。
8月。アンジェリカの誕生パーティー。浴衣姿がアンジェリカ。右側奥の年配のふたりが、彼女のご両親。
 5月。ユベントスがセリエAでの優勝を果たし、地元トリノは勝利が決まった日曜日の午後から大騒ぎになった。サンカルロ広場は立錐の余地もないほどサポーターで埋まり、道行くクルマはクラクションを浴びせかけるようにして喜びを爆発させていた。

 ロベルトさんの工房では、当のロベルトさんが大のユベントス・サポーターであるほかは、誰もサッカーに興味を持っていなかった。優勝の翌日の月曜日にも、作業場でユベントスが話題になることはなかった。サッカーが国民的スポーツで、誰もが地元チームの熱烈なサポーターのように日本では報道されたりするけれど、実際はかなり割り引いて考えたほうがいい。サポーターの熱狂度が日本のそれよりすさまじかったり、新聞が連日スポーツ欄のかなりの部分をサッカーに割いているのは事実だけど。

 5月といえば1000 MIGLIA。でも、1000 MIGLIAへはほんの少しだけ行った。少しだけ行った、というのも妙な表現だけど、なんとなく今の1000 MIGLIAに対して思うところがあって、ちらっと行って、そのまますぐに帰ってきてしまった。

 集まってくるクルマは素晴らしく、車検場にあてられるヴィットリオ広場の華やいだ空気も、エントラントの真剣な表情も、そして何よりも世界中から集まるギャラリーの熱い視線も、それらはすべて1000 MIGLIAならではのものだけど、そこから少し離れたところから漂ってくる貪欲な商業主義の暗雲が、ブレシアの街をうっすらと覆っているようにも思う。どこかのビルの一室から車検場のヴィットリオ広場を見下ろしながら、誰かが金勘定の話に興じているような、と言ったら言い過ぎだろうか。ひとつのイベントがある一定規模を超えて巨大なものになってしまったときの、なにか宿命のようなものを感じる。

 7月。暑かった。真夏の陽射しの下でワークスのランチア037ラリーに乗った。乗ったと言っても、エンジンを掛けただけで、ステアリングを握って走らせたのは、そのクルマの持ち主である元アバルトのメカニック、ヴォルタさんだ。助手席に乗せてもらった。

 フィアット・ウーノあたりの年代のイタリア車とおんなじ匂いが車内にはあって、僕はそれだけで嬉しくなる。ほら、あの匂い、安物のフィアットに乗ったことのある人ならわかるでしょ。エンジンとつながってる匂い。インテリアなんてしゃれたもんじゃないイタリア車の車内に漂う、鉄やオイルなんかが発するような硬い匂い。あれ何なんだろう、かすかに機械っぽくて、そうそうデルタにもその匂いがあったな。イタリア人は普通クルマを「マッキナ(=機械)」というけど、クルマは機械なんだということを改めてこの匂いが教えてくれる。イタリア車はやっぱりいい。

 ヴォルタさんはトリノ郊外の庭の広い壮麗なお屋敷に、奥さん、そして大きなシェパードと一緒に住んでいる。だけど、お金持ちなのかどうなのかは知らない。その広大な敷地の地下に小さな工場があって、そこでランチアやフィアットの元ワークスマシンのレストアや修理をして生活の糧を得ている(らしい)。外から見ただけでは立派な家というだけで、はたしてこの家の地下の一角に歴代のワークスマシンがごろごろしていたり、庭の片隅に037ラリーのフロントカウルが無造作に並べられていたりするなんて、とても想像できないだろう。

 やりかけの仕事をよく見せてくれる。ボディの美しさをあれこれ言ったことは一度もなくて、話はいつもメカニカルな部分のことだ。これがオリジナルに修復したアバルト・エンジンで、ほら、こんなに美しい、とヘッドカバーなんかを撫でながら言う。そうすると僕も、そうだな、イタリア車はエンジンだよな、と思ったりする。論理が導いたなにものかをではなく、なんだかわからないけどそのエンジンに目いっぱいの思いを込めた男たちがイタリアにはいたのだ。ヴォルタさんを目の前にするとそんなふうに思う。

 オリジナルのアバルト・エンブレムが欠けてしまったワークスマシンに、そこらへんで売ってるアバルトのステッカーを貼り付けて、まったく気にも留めないのがヴォルタさんだ。彼にとってアバルトは「マーク」ではなく、本質においてアバルトでなければならない。本質とは、エンジンだ。この初老の元アバルト・メカニックは、誇り高き一本気のエンジン屋なのである。ちょっとアバウトで、ちょっと気難しく、でも、目覚めの悪いアバルト・エンジンの息づかいに耳を傾けているときの、そんなふうにしてかすかに顔をかしげて運転席にいるときの姿なんて、文句なしにカッコいい。

☆☆☆

 
9月。チンクエ・テッレで。アンジェリカ、アンナリサ、そしてアンドレア。
9月。アンジェリカと歩いたラ・スペッツィア。
11月。ロベルトさんの家で。左から、ロベルト、フルバット、ロッシ。フルバットさんは小学校時代からのロベルトさんの親友である。
サッカー・テレビ観戦の夜。左がクリスティーナとそのボーイフレンド。右がお姉さんのフランチェスカ。お医者さんです。
                     9月。トリノはまだまだ暑かった。8月に日本にやってきたアンドレア、アンナリサ、そして愛しのアンジェリカの、返礼ラッシュが僕を待ち受けていた。

 最初にアンジェリカが昼食に誘ってくれた。ロベルトさんの工房の近くの、なんだか名前を覚える気にもならないような、そんなやる気のなさそうなバールに行った。何を食べる?とアンジェリカにお姉さんのような口調で訊かれた。ガス入りの水とプロシュートをはさんだパニーノを、と僕は答えた。これなら200円くらいだからいいだろう、と彼女の財布の中身を考えたつもりだったけど、そもそもそこにはそんなものしかなかったのだ。

 パサパサのパニーノは喉につかえそうで、ガス入りの水の力を何度も借りなければならなかったけど、アンジェリカがボーイフレンドをふった話を臨場感たっぷりに聞かせてくれたので、あっという間に時間が過ぎてしまった。私はね、どんなことでもいいから目標を持っていないとダメ。目標を持ってない男は嫌いよ。

 そして週末にはアンドレアとアンナリサの家で、やはり昼食をご馳走になり、午後にはアンジェリカも誘ってチンザノまで連れていってもらった。17万キロも走ったディーゼルのプントでの4人のドライブは、懐かしいくらいに貧しく、ボロボロのカローラスプリンターで夜通し走り回った学生時代に戻ったような気持になった。クルマの中では彼らの日本での奇妙な体験を、アンドレアが表情たっぷりに再現して、エンジンの音も聞こえないくらいみんなで大笑いした。ここを見ろ、あそこを見ろ、さあ、ここで写真を撮るよ、と彼らのガイドは、中高年モードどっぷりの僕をじゅうぶんに疲れさせてはくれたけど。

 11月。ロベルトさんから電話があった。次の日曜の夜、うちにユベントス対トリノ戦を見に来ないか? ほかに友達も何人か集まるし、ホテルにいるよりずっといいぞ。

 以前にもこんなふうに誘ってくれたことが何回かあった。でも、その時はなんとなくその誘いを受けるのを躊躇した。というのも、8月21日にロベルトさんの奥さんがパドヴァの病院で脳腫瘍の手術を受け、術後、9月の半ばから家で療養していると聞いていたからだ。

 だいじょうぶだよ、とロベルトさんは言った。もう普通に生活しているし、みんなが来てもなんの負担にもなりはしないから。

 その夜、ロベルトさんの家には、彼の友人の不動産屋のフルバットさん、保険屋のロッシさん、ロッシさんの友人のスペイン人、それからロベルトさんの娘、フランチェスカとクリスティーナそれぞれのボーイフレンドが集まった。そして、みんなでテレビの前に座り、8時45分からの放映を楽しんだ。

 ハーフタイムになると、広いリビングのあちこちでおしゃべりが始まり、僕はサイドボードの上にあるロベルトさん一家のたくさんのフォトスタンドを眺めていた。ひとつひとつがロベルト家の歴史そのもので、夫婦の結婚から、フランチェスカ、クリスティーナの誕生、そしてその成長の過程というように、それぞれがその時代のイタリアの景色とともに焼きつけられている。

 そのとき、ロベルトさんの妻、エリザベッタさんが現れた。チャオ、チャオ、とひとりひとりと挨拶を交わし、僕の前に来たときにも手術前と何ら変わりなく元気な笑顔を見せていた。

 しばらくして後半が始まり、試合は予想通りユベントスが3対0でトリノを下し、トリノサポーターのフルバットさんが大袈裟に悲嘆に暮れたポーズをとって、みんなはそれを見て大笑いした。

 さあ、これで失礼しよう。ロッシさんの声にみんながソファから腰を上げたとき、エリザベッタさんが再び現れた。

 まあ、久しぶり、フルバット。そして僕の前に来て、どう、元気でやってる?

 とついさっき交わしたのと同じ挨拶を彼女は口にした。ああ、そうだった。といつかのロベルトさんの言葉をそのとき思い出した。エリザベッタは昔のことは全部覚えているけど、手術の後遺症で、新しい記憶っていうのがないんだよ。医者は良くなると言ってるけど……。きのうのこととか、1時間前のこととか、何も覚えてない。

 間抜けなことに、今のいままでそのことが自分の意識の中から欠落していた。

 手を差し出すエリザベッタさんを前にして、僕はぎこちなく笑顔を作ったけど、この状況をどうくぐりぬければよいのか、言葉はなにひとつ出てこなかった。ロベルトさんがこちらを見ているような気がして、少し視線をずらすと、はたして目が合った。うなずいている。ええ、元気です、と急いで取って付けたようにエリザベッタさんに言って、でも、なんだか間がもたなくて、じゃあ、これで、とコートの袖に腕を通した。エリザベッタさんが怪訝な顔をしていた。

 帰りのクルマの中で、サイドボードの上にあったフォトスタンドの写真がいくつもいくつも浮かんできた。可愛らしいフリルのスカートをはいたクリスティーナ。プールではしゃぐフランチェスカ。それから結婚式の日のロベルトさん夫婦。芝生の上に黒々とした髪のロベルトさん、そして、棒のように細い身体を、純白のウェディングドレスに包んだ少女の面影のエリザベッタさん。

 ――そうだよな、と独り言が口をついて出る。

 ステアリングを握りながら、こちらに近づいてくる、フロントスクリーンの向こう側の街の灯りを見ていた。そこにある無数の暮らし。

 あしたは、新しい暖かなマフラーを、紺色のマフラーを買おう、とそのとき思った。

    **********************************

    Independent & Different

 2002年も1年間、こんな拙文にお付き合いくださりありがとうございました。この稿を始めて、もう3年になりました。イタリアでの仕事の合間に経験した、こんな極私的なイタリア物語を書き連ねることに、一体どんな意味があるのか、という思いは今も拭えません。でも、ただひとつだけ、確信をもって言えることがあります。イタリア自動車雑貨店に並ぶ品物は、僕がここに書いてきた「イタリア」の空気をまとって届けられている、ということです。

 現地駐在員なんてしゃれた人間もいませんので、私たちイタリア自動車雑貨店は自分たちの足でひとつひとつの品物を探し続けなければなりません。この8年間、僕が一介の旅行者のような立場からスタートして、現地での生活者の視点を少しずつ自分のものにする過程で、たくさんのイタリアの人々を知りました。そして、そういう人々ひとりひとりが、イタリア自動車雑貨店の名で日本に向けて送られる品物に、直接、間接にかかわりをもってくれました。僕が書きたかったのは、そういう人々の物語です。アルファロメオを生み、アルファロメオを愛したイタリア人の気持は、そこに生きる人々の日常の中にこそ息づいていると思うからです。だから、“ラテン”などという大雑把な概念や、あるいはそこから連想される座りの良い形容詞に依拠してイタリアを括ってしまうことなんて、いま、僕には到底できなくなりました。

 この店を始めたとき、3年続くだろうか、という不安がありました。3年経つと、5年目を迎えられるのだろうか、と思いました。そんなふうに相談相手もいなかった自分の背中を、イタリアの人々がいつも力強く押してくれました。だいじょうぶだ、続けることだよ。続けることがいちばん大切なんだから、と。 “passo dopo passo”(一歩一歩)と彼らは言います。そう言われつづけて、いつしかそのイタリア語が僕の十八番にさえなりました。

 イタリア自動車雑貨店自体、まだまだ、皆様のご期待にじゅうぶんに応えきれていないと思っています。たくさんの不手際もあり、お叱りを受けたことも多々ありました。ご迷惑、ご不便をおかけした皆様にはこの場を借りて心よりお詫び申し上げます。

 2002年、ほんとうにありがとうございました。今年、2003年も“passo dopo passo”、私たちの「イタリア」をお届けしていく決意です。皆様のご支持を糧に “Independent & Different”、また新しい世界を切り拓いていこうと思います。

 皆様の2003年が幸多きものとなること、心よりお祈り申し上げます。

イタリア自動車雑貨店
太田一義





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