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第30回  アレッサンドロの憂鬱



 なんかいい仕事を知りませんか? トリノには友人がいっぱいいると思うんですが、いい仕事の情報でもないですか?

夜遅く、宿泊しているホテル・ヴィクトリアのロビーのバールにエスプレッソを飲みにいこうとしたら、フロントで所在なげにしていたアレッサンドロが声をかけてきた。不意なことで、何を言ってるんだろうとそばに行くと、本人は眉間に皺をよせてことさら深刻ぶった表情を見せるのだった。
アレッサンドロ。28歳に見えないでしょ。実直で誠実なんだけどちょっと優柔不断で……。これからが彼の正念場だ。


10月に結婚することに決まったんです。ああ、知ってましたよね、結婚すること。でも、この収入じゃ、先行きが暗くて、アンジェラ(婚約者)も不安そうで……。いい仕事のためだったら、別にトリノにこだわりもないんですけど。

アレッサンドロは僕がトリノでの定宿にしているホテル・ヴィクトリアのレセプショニストだ。そこでの仕事も、もう6年目になるというから、僕がこのホテルを使い始めたのとほとんど同じ時期に働き始めたことになる。勤務は週2日。夜10時から翌朝10時までが彼の勤務時間帯だ。ホテルでの勤務がないときは、運送会社でアルバイトのようなことをしているらしい。今年28歳。外見からするとそんなに若く見えないのは失われた頭髪のせいだけれど、この10月に結婚を控えて、何やら自分の行く末を真剣に考え始めたのか、ますます老け込んでみえる。

最初の予定では、結婚は6月だった。それが2月に彼の母親が55歳の若さで他界し、兄弟のいないアレッサンドロはひとり残された父親のこともあって、状況が落ち着くまで、と式を10月に延期したのだった。

君は英語もできるし、フランス語だってわかるんだろ、仕事はあるんじゃないのか。それに、イタリア語だってできる。僕のつまらない冗談をやり過ごして、アレッサンドロは自嘲気味な笑いを浮かべた。

この仕事の英語なんて、ここにサインを、お部屋は○○号室です、ウェイクアップ・コールは必要ですか、くらいでオーケーなんです。何も特別なことじゃない。

やれやれ、と思った。こういう話につかまると長くなるのだ。イタリア人は、もちろんすべてのイタリア人がそうというわけではないけれど、概して自分の悲惨な状況を語り始めると微に入り細に入り、立て板に水である。ひとしきりどんなに自分が恵まれていないか、どんなについていないかを相手に聞かせ、それで、さて、となる。会話の組み立てが立体的で、臨場感に富む。

それで、僕は考えたんですが、あなたのトリノでの取引先なんかで仕事はないでしょうか。別にどんなことでもやるつもりです。普通の時間の勤務で、平均的な収入があるならば。

ホテルの従業員の中で、僕が最初に親しみを覚えたのがアレッサンドロだった。朝4時だとか5時だとか、たとえば僕が長距離の移動のためにそんな時間に出発しなければならない時、ひとりフロントにいる彼がよくエスプレッソをいれてくれたものだった。大きなホテルではないから、夜中から朝までそんなに仕事があるわけではない。ただ、フロントに座っている不寝番のようなものなのだ。そんな長い朝までの時間をもてあましていたんだろう、僕が常識外に早い時間に現れると、待ったました、とばかりに話しかけてきた。

こんなに早い時間に、一体どこへ? シニョーレ、エスプレッソ飲んでいきますか? ああ、今すぐ用意しますから。

そういうやり取りの中で、彼は僕がイタリアに何をしに来ているのかを知り、僕もまたアレッサンドロのトリノでの生活を知るようになった。

☆☆

 5月5日、日曜日の午後、ユヴェントスがウディネーゼを2−0で破り、セリエA最終戦での劇的な逆転優勝が決まった。テレビがその模様を伝えるのとほぼ同時に、ホテルの前のポンバ通りもクラクションを鳴らして行き過ぎるクルマで、俄然賑やかになってきた。ユヴェントスの優勝の条件は、インターミランが負けて、ユヴェントスが勝つ、という半分他力本願みたいなものだったので、おそらく優勝は無理だろうなと思っていた。それが両方の条件をクリアしてしまった。その日の午後から夜更けまで地元トリノは大騒ぎになった。

5月5日夕刻のサンカルロ広場。ユヴェントスサポーターの熱狂。タクシー乗り場も人で埋まる。
  夜、7時過ぎ、僕は市内中心部のサンカルロ広場に行ってみた。もう、広場に近づくにつれ、尋常ではない歓声が地響きのように伝わってきた。ユヴェ!ユヴェ!ユヴェ!と、それは轟音のよう にして、どんどん迫ってきた。広場から戻ってくる人たちは、一様にユヴェントスのタオルを首に巻き、大きな旗を振り回している。上気した表情からは、この国でサッカーというスポーツが、どれほど根深く人々の生活に入り込んでいるのか、それを十分に読み取ることができた。ユヴェントスの勝利? いや、自分の勝利なのだ。

広場の中心部までは到達できなかった。というよりも、どこが広場の始まりでどこが中心なのか、もうそこにいる人間の数が多すぎて、皆目見当がつかなかった。立錐の余地がない、というのはまさにこういう状況をいうのだろう。FORZA JUVEの旗が泳ぐようにたなびき、爆竹がなり、ひときわ大きな拍手の波と大歓声。誰かがどこかできっと何か叫んでいるんだろう。ステージのようなものがあるのかどうなのかはさっぱりわからなかったけれど、みんながひとつの方向を向き、拳を振り上げ、歓声を上げる。

乱舞するユヴェントスの旗。劇的な優勝だっただけに喜びもひとしお。
  おめでとう、ユヴェ! おめでとう、トリノ! おめでとう、わたしたち!  全国平均で失業率12%以上、南イタリアでは20%以上、特に若年層に仕事がなくて、ほんとだったらサッカーどこじゃない、という状況だろうに、そんな影は微塵も見られない。仕事どこじゃない、ということなのか。

だけど僕は、そこにどうしても鬱積した何ものかの発露を感ぜずにはいられなかった。この地鳴りの轟音のような歓声の波は、ユヴェントス優勝の歓びへ向うと同時に、ろくな仕事も用意できないこの国のある部分にも無意識に向っている、と考えるのは穿ち過ぎなのだろうか。中道右派の、微かにナショナリズムの匂いを漂わせる主張に1票を投じ、その政権を誕生させた人たちは言っていた。移民に使う金があるならば、イタリア人に使え。そうすれば、状況はずっと良くなるはずなんだ、と。

良くならない状況は依然として今日も続いている。僕はこの絶叫にも似た大歓声の津波のなかで、深刻そうに自分の窮状を訴えていたアレッサンドロの顔を思い出していた。いや、思い出さざるをえなかったのだ。僕は見た。ユヴェントス・サポーターの無数のトリネーゼの高揚のなかに、顔を真っ赤にして大きな旗を振るアレッサンドロの姿を。

☆☆☆

 ホテル・ヴィクトリアには、彼と同じような夜間勤務専門の人間が他にも何人かいて、ここの経営者はローテーションを組んで彼らを使っていた。正規の社員をオーバーナイトの勤務に就かせるよりも、ずっと安上がりだからだ。事実、アレッサンドロの給与は6年間勤めた今でも、月650ユーロ(約7万5000円前後)に過ぎない。

彼と 同じ夜間勤務をしている同僚にアレックスというハンガリー人の男がいた。アレックスは英語、イタリア語、フランス語をネイティブのように操る、見るからに有能な男だった。こんなふうにいうと語弊があるかもしれないが、アレッサンドロとはレベルがかけ離れていた。まさに、もっといい仕事に就けるだろうにと、僕自身、彼と話すたびに感じていたけど、ハンガリー人というのがやっぱりネックになっているようだった。

そのアレックスが転職した。なんでもオートバイのヘルメットの輸出担当業務の正社員の職を得たという。2月にヴィクトリアにチェックインした時に、律儀にも彼は僕にメッセージを残してくれていた。新しい仕事を見つけたこと、それから自分の携帯電話の番号、Eメールのアドレス、そして最後に、時間があれば夕食を一緒に、とあった。彼の喜びが伝わってくるような、リズムのあるメッセージだった。 おそらく僕が思うに、アレッサンドロにはアレックスの転職がショックだったに違いない。一足先にこの閉塞的な状況から脱していったアレックスを、どこかで羨む気持があったんだろう。そして、自分もどうにかして新しい世界を見つけなければならない、と日に日に気持が急いたに違いないのだ。結婚も近いし。

だがアレッサンドロとアレックスでは行動力が違う。イタリア人のアレッサンドロとハンガリー人のアレックスが、ひとりの男としてイタリアで生きていくという点において、出発点においては圧倒的にアレッサンドロが有利だったはずだ。何よりも彼はイタリア人なのだから。

でも、逆に言えば、アレックスにはその逆境こそがバネになった。そのバネのあるなしが、現在の彼らの明暗を分けていると、これは誰がどう見ても明らかだった。

照明が美しいホテル・ヴィクトリアのロビー。ここでよく居眠りをするワタシ。
  悪いけど、アレッサンドロ、僕は力になれないと思うよ。

僕がそう言うのを聞いて、アレッサンドロは肩をすくめ、あらかじめ用意しておいた言葉をポンっと置くようにして言った。

そうですよね。あなたはジャポネーゼだし……。

じゃあ、最初からそんな愚痴はこぼすなよ、と喉のところまでこみ上げた日本語を飲み込んで、僕はちょっとだけ笑った。そして、なんだかグチャグチャで整理しきれないイヤな気持を抱えて、バールに向かってフロントのカウンターをあとにした。

雨が続く5月のトリノで、その夜はことさら気持が沈んだ。アレッサンドロの最後の言葉云々はともかくとしても、僕がいちばん嫌いなイタリアと面と向かってしまったからだ。

イタリアの社会は、制度矛盾や未消化のまま積み残したありとあらゆる問題に、強引に蓋をして知らん顔をしているようなところがあるけれど、その中にさらに無数のアレッサンドロを抱え込んでいる。「無数のアレッサンドロ」たちは、直面する問題の前で右に行ったり左に行ったりしているけど、前には進まない。左右に動いているだけならばもとの位置に戻ることはできるけど、前に進んだら後には引けなくなるから。「今、困っている」と言うイタリア人の話の多くは、だいたいこの構図のなかの問題だ。

なんかねえ、これはどうなんだろう。アレッサンドロはたとえ新しい職を得たとしても、そこでまた右に行ったり左に行ったりを繰り返すような気がする。ベーネ、ベーネじゃないんだぜ、アレッサンドロ。

だから少なくとも僕は、彼に同情することはできなかった。そうするぐらいなら、地下鉄の車内で笛を吹き小銭を集めるジプシーの少年の、その少年の未来の幸運をこそ僕は祈る。




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