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第28回 さよなら、ミケロッティ



AUTOMOTORETROのリンゴット会場。 旧フィアット工場跡地に立つここでは、年間を通してさまざまな業種の展示会などが開かれている。ホテルも隣接する。
   4月のトリノショーが中止になった。2月18日の夜、テレビで伝えられたそのニュースは、翌日にはバールやレストランでのかっこうのトピックスになった。

『ウルバーニ』という名の、トリノでも随一の賑わいを見せるビュッフェ形式の(といっても客は座ったままで次から次に料理が運ばれてくる)レストランで、知り合いのロベルトさんも、不動産屋のフルバットさんを前に熱弁をふるっていた。

プロシュートの脂の部分をナイフとフォークで器用に取り除き、顔を上げると右手のナイフを小さく振りかざしながら言葉を発する。だいたい、フィアットはすべてカネだから、だから、愛想をつかされたんだよ。宣伝効果も期待できない上に、カネ、カネじゃあ、外国のメーカーはどこも参加したいとは思わないだろ。

フィアットがどれほど金銭を前面に押し出しているのか、僕には具体的なことは何もわからない。ただ、「宣伝効果」云々は確かにそうだと思う。3月のジュネーブショーのすぐあと、という時間的なハンディキャップは、各国の自動車メーカーに二の足を踏ませる最大の要素に違いないし、ジュネーブのような国際都市ではないトリノの、その集客力も問われることだろう。遅かれ早かれ、こういう日が来ることは既定のことだったような気もする。

でも、と僕は思う。これはやっぱり寂しいことだと思う。ドイツ車の隆盛と覇権の波に翻弄されながらも、イタリアが見せてくれた自動車の別の側面と、なによりも自動車に対する彼らの直線的な友情が、なんだか否定されたようにも感じてしまう。1000 MIGLIAの会場を埋め尽くす、まるで宝石のような輝きを放つ昔日のイタリア車を思い返してみればよくわかる。ヴィニャーレ、トゥーリング、チシタリア、シアタ……、みんなここイタリアの、ここトリノのカロッツェリアから生み出されたクルマだ。トリノはまぎれもなく20世紀の自動車の聖地だった。そのトリノの自動車ショーが中止になる。

ボローニャを見てみろよ、と言って、ロベルトさんはプロセッコをグイッと呷る。ボローニャ・モーターショーは12月のあんな寒い時期なのに、トリノの倍以上の入場者を集めてるじゃないか。あそこにはF1フェラーリの熱気があるんだよ。シューマッカーもバリケッロ(イタリア人はふたりの名をこう発音する)も来るし、クルマに対する情熱がね、カネではなくて情熱があるんじゃないか。

気がつくと、僕の苦手な料理ばかりがテーブルの上を占領していた。モッツアレラの巨大な塊、ズッキーニと名も知らぬ野菜の炒め物、茸のリゾット、タリアテッレ、ラザニア、ラビオリ等々、僕にとっては食欲を後退させるのにじゅうぶんなラインアップだ。溜息が出ちゃう。

たいして料理にも手を出さない僕は、タバコばかり吸いながらロベルトさんの話を聞いていた。ロベルトさんのトリノ批判、いや、フィアット批判は、別に今に始まったことじゃないけれど、自国を悪く言うイタリア人が概してそうであるように、本心は違う。彼もまたほんとうはトリノが生んだ自動車の文化に強い誇りを持っているし、だからこそ現在の凋落的な状況を誰よりも嘆いているのだ。

フィアットはもう終わりということか、と唐突に、それまで静かに話を聞いていたフルバットさんが訊いた。2006年のトリノのオリンピックの時には、と言ってロベルトさんは肩をすくめた。フィアットは自動車の世界から退場しているよ。

☆☆

 ロベルトさんの娘のクリスティーナが、その日どうしてもクルマを使いたいということだったので、僕は急遽予定を変更して列車でミラノに向かった。2月だというのに春のようなポカポカ陽気の日だった。12月にイタリアで食中毒にかかったとき、その症状が列車の中でピークに達した記憶が甦り、なんだかちょっとイヤな気分になったけど、クルマでミラノ市内の渋滞に遭遇しないことを思えば、これはこれでまあいいか、だった。

その列車内で、僕は日本から持ってきていた文庫本『二十歳のころ』(立花隆+東京大学教養学部立花隆ゼミ著/新潮文庫版)を読んでいた。立花隆が東大で担当しているゼミの学生に「調べて書く」という課題を与え、学生が各界の有名無名の多くの人にそれぞれの「二十歳のころ」を取材してまとめ上げたものである。1巻と2巻があり、僕が読んでいたのは2巻、総ページ数679ページの大冊である。

東京にいるときには忙しさにかまけて、一冊の本をじっくり読み込む時間も取れない自分の生活が、イタリアでこうして列車で移動しているときなどに少しだけ変わる。だから、クリスティーナがイプシロンを使いたいと言ったときに、瞬間的に持ってきていた本のことが頭をよぎった。飛行機では2回の食事もとらずに眠りに眠っていたので、ようやくあの本のページを開けることができると。

列車の振動に揺られながらいろんな人の「二十歳のころ」に触れた。心に沁みる話がいくつもあった。それは「二十歳」ではなく二十歳の「ころ」だから、もっと大きく括れば青春のころの話である。歳はとりましたが、気持はいまでも青春です、なんて臆面もなく、まさにいい歳をした大人が言うことがあるけれど、そんなものは青春ではない。小銭しか持っていなくても平気でデカイ面が出来た頃なんて、いつまでも続くわけがないのだ。青春は若い人のものだ。

そして、僕がこの本を読んでいる間ずっと思っていたのは、若い頃っていうのは、たとえそこに再び戻りたくないとしても、それでもやっぱりいい頃だった、ということである。なぜなら、この『二十歳のころ』で語られる“二十歳のころ”がどんなに不様なそれであっても、そこには、生きていくことへのたくさんの懐疑や希望が、それ自体として、どうしようもなく輝いているのだから。

ところで、立花隆はあとがきでこんなふうに言っている。
「自然界のいかなる物質もエントロピー増大の法則(熱力学第二法則。あらゆる秩序が自然に解体の方向に向かうという法則)をまぬがれることができず、あらゆる系は解体の方向性を内に強く持っているように、人間社会のあらゆる集団・システムも、放っておけば必ず解体するようにできている。その解体をつなぎとめるためには、物質系でも人間系でも絶えざるエネルギーの投入があることと、そのエネルギーをシステム維持の側に組織していくメカニズムの存在が必要なのである。人間集団の場合、それは、そのように行動してくれる人間の存在によってはじめて維持される」

引用したこの部分は、ゼミの学生たちがこの『二十歳のころ』を一冊の書物にまとめあげていく過程で遭遇した、仲間内での衝突、非協力、怠慢を乗り越えて、組織解体を回避した経緯を述べた一節である。そして実は、この至極当然のことを記しているこの部分こそが、今回イタリアで、僕が痛切に感じたことでもあった。


☆☆☆

 2月22日から24日まで、トリノで<AUTOMOTORETRO>というイベントが開催された。クルマやオートバイのイベントだけど、どちらかというとクラシックなものを対象としていて、もちろんパーツなども展示/即売されている。会場はフィアットの旧工場跡地リンゴットだ。

 今年は、バリッラのクラブが一堂に会していたり、ランチアクラブの30周年特別展示があったりで、広い会場をブラブラ見て歩いているだけであっというまに1日が暮れてしまった。

ミケロッティのスタンド。
右がエドガルド・ミケロッティ氏。寂し過ぎる。残念だ。

 その中で僕の目を惹いたのはミケロッティだった。かのジョバンニ・ミケロッティ率いたカロッツェリア・ミケロッティは今はもうないけれど、ジョバンニの息子エドガルドがミケロッティの名を冠した時計やサングラスなどを製造したり、過去のミケロッティデザインのクルマのミーティングなどを組織したりして、かろうじてその名を今も残している。<AUTOMOTORETRO>にもスタンドを出していたのだ。

そのスタンドが、なんていうんだろう、哀れというのか、寂れているというのか、黄昏のモニュメントのようだった。ミニカー屋のスタンドの隣りのほんのわずかなスペースに、ミニカーのボックスに押し寄せられるようにして、かたちばかりのミケロッティのスタンドがあった。こんなものは、昔のミケロッティを知る人間が見れば、目を覆いたくなるような光景だろう。ロベルトさんから、ミケロッティがどれほど才気煥発のデザイナーであったかを聞かされていた僕も、なんだか暗然とした気持になった。こんなことなら出てこなければいいのに。

その光景は過去の父親の名前につながる細い細い糸に、やる気なくぶら下がっているようにしか思えなかった。テーブルの上にはミーティングの時のアルバム(といっても写真屋がサービスでくれるようなペラペラなもの)と、現在の主力商品のリストウォッチが雑然と並べられているだけで、そのスタンドを訪れる人もほとんどいない。

ベルトーネやピニンファリーナがその命脈を今も確固として保っているのとは対照的に、ミケロッティはほんとうに終わってしまったんだなと、その時僕は自分自身はっきりと納得することができた。

会場に展示されていたチーム・スーペルガーラのスーパー・チンクエチェント。こういう馬鹿げたクルマっていいなあ。
イタリアのクルマ。頑張れ、スーペルガーラ!
セストリエーレを風のように疾れ!
それは、立花隆が『二十歳のころ』のあとがきで「人間社会のあらゆる集団・システムも、放っておけば必ず解体するようにできている」と、いわゆるエントロピー増大の法則を引いて述べた、まさにそのものにほかならなかった。厳しい言い方をすれば、ジョバンニ亡きあとに、エドガルドはカロッツェリア・ミケロッティの存続を賭けた、エネルギーの投入が出来なかったのだ。

 能力の問題なのか。たぶんそれはイエスでありノーだ。しかしもっと本質的には、ミケロッティを運営していく上で、エドガルドに常につきつけられてきたのは彼の志の在り処だっただろう。ミケロッティの看板を背負った彼自身が、ミケロッティをどうしたいのか、ミケロッティをどの地平に進めていきたいのか、それを見せてみろよ、と世界は彼の答え待っていたはずなのだ。

エドガルドに溢れる志さえあったなら、彼は父親に替わる新しい才能を組織することもできただろうし、その才能が内包するエネルギーを「システム維持の側に組織していくメカニズムの存在」、すなわちそれを組織していく主体として、彼自身もっとがむしゃらだったんじゃないだろうか。

彼にはそれが出来なかった。時間が解体のエネルギーを増殖させてゆくのを、ただミケロッティの名に凭れかかり眺めていたのかもしれない、いや、眺めていたのだ。

だが、しかし、このミケロッティの黄昏の光景は、もしかしたらそれはそのまま、トリノショーが中止になったことに象徴されるイタリアの自動車世界の、すなわちフィアットの、一種閉塞的な現在の状況の写し絵かもしれないのだ。アルファ156と147に最後の花火を上げさせて、座してGMの軍門に下るのか。

トリノショーの中止はつくづく残念だ。世界のどのメーカーが参加しなくても、フィアットにはイタリア自動車界の総力をあげた気合の入ったショーを、単独ででも見せてもらいたかった。それで大失敗したら? いいじゃないか。渾身の直球勝負はいつだって素敵さ。それにね、ただ生き長らえることへの入念な方策にではなく、現状を打破しようという気概に一票を投じたいと思っている人は、世界にはまだまだたくさんいるに違いない。





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