イタリア自動車雑貨店
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第27回 ユーロが連れてくるもの



いよいよ流通が開始されたユーロ通貨。これは流通前に配布された お勉強のための小冊子。
 12月の10日過ぎにイタリアから発送した荷物が、とうとう年末までに届かなかった。なんでも、ローマとミラノにある国際郵便交換局が、どちらもよりによって12月の押し迫ったその時期に移転作業なんかをしていたからだという。バッカみたいイタリア人って。

おかげで、12月の滞在中に使用した個人的な衣類なんかもイタリアの空港で年を越すことになってしまった。そしてこれを書いている1月9日現在、荷物はまだ届いていないのだ。荷物なんか溜めたまんま、彼らの流儀で一歩前進二歩後退の移転作業がきっと行われているんだろう。

もうひとつのトピックスは、ユーロである。年末から年始にかけて、新聞はユーロ通貨の流通開始にともなうヨーロッパ各地の様子を伝えていたけれど、そこでもイタリアは「通貨の配布がいちばん遅れている」と伝えられ、年が明けてからは「ユーロ通貨の使用率がいちばん低い」と、なんだかクラスの問題児扱いだった。

それに対して秀逸だったのはイタリアの財務相の言葉で、「ユーロの配布が遅れているからといって、それで世界が終わるわけじゃない」と見事な切り返し、居直りだった。バッカみたいなイタリア人だけど、でも、なんとなくホッとすることがある、あの人たちといると。

それにしても、きのうまで使っていた紙幣や硬貨が、翌日からは通貨単位もろとも一変するというドラスティックな体験は、どんなものなんだろうか。2001年の1年間、銀行はユーロ通貨の周知徹底を図るため、大きなポスターやリーフレットの類をいろいろ用意していたし、スーパーのレシートにも、リラ、ユーロ、両方の通貨単位での金額が表記されていたけれど、人々の関心はそれほど高まっているようには思えなかった。自分の身の回りのこととして捉えるには問題が大きすぎて戸惑っていたのかもしれないけど、それ以上に、まだ起きてもいないことをあれこれ考えてどうなるんだ、といわんばかりの無関心ぶりだった。リラへの愛惜があったのかどうか、う〜ん、それはどうなんだろう、やっぱり、あったんだろうか。

無責任な異邦人の立場から言わせてもらえば、僕自身としてはなんだか、イタリアをイタリアたらしめているたくさんの要素の中のひとつが、確実に消え去っていくようでちょっと複雑な気持だ。ホテル一泊30万リラなんていう大層な数字が、実は1万5000円程度のことだったなんていう、それこそまさにドラスティックな通貨レート換算の面白おかしさの向こう側に、細かなことに頓着しないイタリア人気質をいっぱい見てきたし、そういう彼らの鷹揚さによって、異国での仕事に精神も肉体も疲れきった僕自身、ずいぶん助けられてきたと思うから。

世の中はそれが意図されたものであれなんであれ、そうあるように変化していくものなんだろう。ミケロッティがフリーハンドで描き出した自動車のデザインも、そしてそれをもとにカロッツェリアの職人がその腕一本で叩き出していた温もりに満ちたボディも、僕らの時代は遥か彼方に置き去ってきた。

ユーロの登場とリラの退場もまた、イタリアから何かを奪い、そして自らイタリアも何かを捨てるだろう。だから、「ユーロの配布が遅れているからといって、それで世界が終わるわけじゃない」という財務相の言葉に、僕はユーロへの全面的な帰依に対する彼の微かな拒絶を感じる。リラ時代を生きたイタリア人の心意気を見る。なんだかそれは、とってもすがすがしいことだ。


☆☆

知り合いのロベルトさんの会社から、MERRY CHRISTMAS&HAPPY NEW YEAR!のメールをもらった。走り回るサンタクロースの動画付のメールには、会社で働くみんなの直筆サインが入っていた。12月いっぱいで退職するアルドさん(第17回“ガイジンとして生きるイタリア”参照)の名前もあった。

アルドさんは55歳。これからは年金をもらって、あとは適当にアルバイト程度の仕事をして奥さんと娘さんの3人で暮らしていくという。55歳の人間に退職したほうがいいと思わせるイタリアの年金制度は、ちょっと複雑(というより、制度そのものが頻繁に変わる)なので詳しくは説明できないけど、アルドさんの場合は退職時の給与の70%程度が毎月無条件に支給される。だから、週2,3回アルバイト、それも収入を申告しないようにうまく働けば、会社に勤めていた時よりも高収入になるのだという。

イタリア冬の風物詩、焼き栗屋。胸を張ってポーズの親父さんは、 少なくとも僕の知るこの6年間、同じ街角に立っている。
  もちろん、アルドさんもそれを狙っていて、「もうじゅうぶん働いたからゆっくりしたい」という言葉の裏側には、そんな現実的な計算もみてとれる。日本人だったら、どうだろうか。はたして、55歳で仕事からリタイアしたいと思う人間がどれだけいるだろうか。年金のようなかたちで、たとえ収入が保証されていようが、それでよしとはしないだろう。

つまり、自分の役割だったり、生きがいだったりを、仕事を通して見つけようと日本人の多くは考えるから、そしてそれを自分と社会との接点だと捉えているから、アルドさんのような選択をする人の方が少ないと思う。

むろんこれはアルドさんに限ったことではなく、小学校教師だったカッペリさんも、55歳であっさりと年金受給者の道を選んだ。こういう選択をどう思うかは、それこそ国民性というものなんだろうけど、僕にはいつまでも消化できない違和感のようなものが残る。

でも、イタリアっていうのは結局そういう不条理や非生産性や制度矛盾やデタラメな規則なんかを、ごった煮にして蓋をしているようなところがあって、蓋の隙間からのふきこぼれだけを雑巾でその都度ぬぐっているのだ。火力を弱めようとか、火を止めようとか、鍋の中身を整理しようとか、そんなふうにはなかなか思わないようだ。

妖艶なアルファロメオのスタイリングを鍋の蓋だと考えれば、トラブルに悩まされ続けた古いアルファのオーナーの方には、膝を打つことがいくつもあると思う。極めてドイツ的な“神は細部に宿る”というテーゼは、イタリア人にとっては、細部にこだわるあまり全体が凡庸としてしまう、偏執的なフェティシズムにほかならないから、そんなものは問題外の哲学なのである。

全体がシャキッとしていればそれがいちばん、全体が美しいモノや制度なら、内部の少々の歪みには目をつぶる。それが伝統的なイタリアの“WAY OF THINKING”で、だからイタリアは、内的な均一性や整合性を求めるユーロ通貨圏の中で、きっといつまでも問題児としての資質を発揮し続けることだろう。

アルドさんの選択に正当性を与えるイタリアの制度も、その選択の主体であるイタリア人そのものも、やがてはどことなく全体主義的で、細部の神を信じてやまないドイツ人などに、やり玉に上げられるようになるのかもしれない。

ユーロの登場とは、そういうことだと、僕は思っている。

☆☆☆

 ユーロが使えるようになって、旅行代理店などは、国境を越えるたびに両替する手間がなくなる利便性を訴求しているけど、ということはヨーロッパの目ぼしい街には必ずあった両替商の店が、消えてなくなるということだ。デジカメの普及でDPEショップには閑古鳥が鳴き、ユーロの流通で両替商が霧散する、という構図にはなんの脈略もないけれど、かつてあった商売が成立しなくなるっていうのは、当事者でなくてもなんとなく寂しい。余談だが、銀行で両替するのと、両替商の店で両替するのは、なんとなく感じるスリルのあるなしで、圧倒的に両替商の怪しさが勝つ。

それはともかく、トリノに地下1階、地上3階建ての眼鏡のチェーンストアが進出してきた。何千に見えるだけかもしれないが、何千もに見えるメガネフレームが整然とディスプレイされている。これは選択の幅がひろがったと喜ぶべきことなのかもしれないが、はたしてそうだろうか。
レストランで隣り合わせた老人。お互いひとりでの食事だったので、自然と言葉を交わすようになった。よく喋る人だった。イタリアの人だった。

 少なくとも僕は、これほど直接的に大量生産を想起させる眼鏡屋でメガネフレームを買いたいとは思わない。イタリアの眼鏡屋は、やっぱりちっちゃくて、店員も一人か二人しかいなくて、どれを掛けても「似合う!」を連発する商売気たっぷりな、それほど潤沢でない在庫品をとっかえひっかえかけさせるような店であってもらいたい。

だから、空間ばかりが目立って、オープン当初の客足が鈍りつつあるチェーン・ストアの様子をみるにつけ、僕はなんだかうれしい気持になっている。

と、こんなふうに、ユーロが現実のものになるにしたがって、僕はイタリア社会のところどころに変化の兆しを感じている。無責任な一旅行者に過ぎない僕が何を感じようと、そんなことは別にどうってことはないのだけれど、コミュニティの外にいる人間の方が微細な変化に敏感だったりもするから、これはあながち杞憂ではないかもしれない。

石畳の道やすすけた15、6世紀の建物とともに、明日もアルファロメオやマセラティを作ってくれ、と願っている人間が世界にはたくさんいることを、アニエッリには是非とも覚えておいてもらいたい。



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店の前の道路で、よくキャッチボールをしていた。テニスボールを外苑東通りの向こう側のビルの屋上めがけて遠投したりもしていた。今のように次から次にやるべき仕事があるわけでなく、お客さんが来なければ何もすることがない、なんていう時間がたくさんあった。このお店をオープンして2年くらい経ってもそんな感じだった。

だからといって、特別不幸なわけでもなく、好きなことを仕事にしたからなのか、そういう状況を耐えることが、苦行だと思ったこともなかった。考えてみれば、僕の幸せはその一点に尽きる。

その頃、爆音を発するフィアット・パンダで、新宿通りを御苑のトンネルを抜けて四谷3丁目に出てくるあたりの、その小さな空のひろがりがとても好きだった。さあ、きょうも一日が始まる、という律動感のようなものを、僕は毎日感じていた。明日への不安はもちろんあったけど、それに浸りきってしまうのも、それを越えて行くのも、すべて自分次第という「自由」が、常にこの小さな店と僕を鼓舞してくれていた。

年の始めにはこんなことを、店への行き帰りによく思い出したりしている。

もうすぐ、『イタリア自動車雑貨店』、8年目に入ります。この年月の変わらぬご支援に心より御礼申し上げます。 そして、今年だって、楽しく、明るく、懸命にやっていきます。





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