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第13回 このパンダが好きか?



 11月9日の夜10時過ぎ、トータル14時間を超える移動を終えてトリノ空港から一歩外に出た瞬間、外気温4℃の真冬が待っていた。膝のあたりから冷気が駆け上ってくるトリノ特有の寒さが、まだ11月の初めだというのにもう既に始まっていた。

イタリア人は、特に30代から上の世代のイタリアの男は、どういうわけかキルティングの防寒着を好むようで、ここ5年というもの街なかでほんとによく見かけたものだ。10人いれば6人ぐらいは、日本円にして5千円前後のHUSKYと呼ばれるその軽いブルゾンを着ていたんじゃないだろうか。そしてそれは今年も変わらず続いていた。空港にはHUSKYがたくさんいた。

僕ら日本人は有名なイタリアのファッション・ブランドのことなんかが頭にあるので往々にして誤解してしまうのだけれど、イタリア人のほとんどは日本の女性誌がはやし立てるようなファッショナブルないでたちで街なかを闊歩しているわけではない。確かにミラノなどに行けばそういう人もいるけれど、それはごくごく一部に過ぎない。HUSKYをいくつかの冬を通して着回している姿の方が、実際のイタリア人の姿に近いんじゃないか、というのが僕の実感だ。

でも、本音を言うと、ちょっと貧乏臭いな、とも思う。ただでさえ暗く沈んだような雰囲気のイタリアの冬に、同じようなダークな色合いのHUSKYばかりを目にするのは、味気ない現実生活の断片を見せつけられているようで、少なからず気も滅入ってくる。タクシーの順番を待ちながら、時差ぼけですっきりしない頭でそんなことをボンヤリ思いながら、今年4回目の、そして今年最後のイタリアが始まった。

☆☆

  今回の滞在中目にした『QUATTRORUOTE』誌で、開発中のニュー・パンダの記事を発見した。「シューマッハ、アルファ147に乗る!」という目玉記事に続いて、6ページにわたって2003年から販売されるニュー・パンダが紹介されている。

「この新しいパンダは好きですか?」と題されたその記事は、“現行のパンダとセイチェントを足すとこの新しいパンダ”とサブタイトルで謳っているけれど、イタリア人に読んでもらって内容を詳しく聞いたところ、どうやらこのデザインに対しては結構辛辣な論調らしい。

説明してくれた彼自身、これは日本車だね、と僕に対して言った。彼言うところの日本車とは、「記憶に残るスタイリングを持たない」ということに収斂されるらしく、どうやらこの新しいパンダもそれにあたるようなのだ。(ちょっと矛盾した余談になるけれど、トヨタのヤリス(納車まで1年待ち!)と新しいRAV4は絶賛されている。RAV4ってそんなにいいか?)

う〜ん、と僕は唸って、これはきっと買わないなあ、と思った。日本車云々はともかくとして、この新しいパンダには、今のパンダが持っている簡潔さとか乗り手の想像力に訴えてくるスパイスのように効いた情緒性とか、そんなものは一切見当たらないからだ。乗ればきっと現行のパンダより百倍も優れているんだろうし、パッケージングとやらの工夫で室内も広いんだろう。

でもね、パンダは遅くったって、煩くたって、狭くったって、そんなことはどうでもいい。パンダって、欲しくなるでしょ。神経すり減らしてフェラーリなんかに乗ってる自分(僕は乗ってないけど)が、交差点で前を全開で横切っていくパンダを見て、猛烈に欲しくなるじゃないですか。パンダってそういうクルマ。日本人の僕らが感じていることと、どこか遠くで重なり合うような何かをイタリアの人はずっと前から感じていて、だから20年以上もパンダは現役の看板を出し続けていられたのだ。

ジウジアーロは確かに偉大だけれど、これはきっとまぐれだったに違いない。インタビューなんかではいろいろ語ったりしているけれど、後になればどんなこじつけだって言えるもの。まぐれを頻発するのがイタリア人デザイナー、というのは僕の揺るぎのない持論だ。

とにかく、この新しいパンダは良くない。まぐれが全然ない。

☆☆☆

 HUSKYの貧乏臭さもイヤだけど、このニュー・パンダの中流的明るさもイヤだ。冴えないぞイタリア!と檄のひとつも飛ばしたくなるところだけれど、実際フェラーリの聖地マラネッロでも、工場周辺のグッズ・ショップに全然精気がなかった。

それというのも、先月、今年2回目のファイナンシャル・ポリス(経済警察)の一斉摘発があって、フェラーリ周辺のショップからいわゆる“偽フェラーリグッズ”がきれいさっぱりなくなってしまったのだ。
  フェラーリのお膝元でよくぞここまで、というほどに、これまでロゴの無断使用商品で溢れていた店内が一挙に寂しくなってしまって、かわりに馬なんだか犬なんだかわからないようなマークの入ったステッカーや、マルボロのデザインに似せたマラネロという文字入りのTシャツなんかが並んでいた。誰が買うのか。

おそらく来年、フェラーリは直営ショップを自社工場の正面にオープンするらしく、今まで暗黙の了解で見て見ぬ振りをしていた周辺のショップの商売を、どうやら本気で潰しにかかってきているらしいという穿った見方もあるけれど、オフィシャル商品の製造・販売権を握っているイギリスの会社が、「偽物」の横行に業を煮やしてフェラーリに直訴している、というのが真相のようだ。

オフィシャル商品だけしかマラネッロに存在しなくなったなら、本家フェラーリの直営ショップに太刀打ちできる店などなくなってしまうだろう。マラネッロから猥雑さが消えうせ、コンピュータでデザインされたような新しい健全なマラネッロが生まれるのかもしれない。
「時代が変わった」とあるショップの経営者は僕に嘆いたけれど、そんな決まり文句で切り取って眺めてみても何も解らないような、もっともっと大きなシステムとしての力が、マラネッロという街を覆い始めているように、僕には思えた。

フェラーリの正門の前、リストランテ・カバリーノの真横で、ワゴン車に偽フェラーリ商品を満載してやってきてはそれを観光客に売っていた男は、どこに行ったのか。かつてはその横を、ルカ・モンテゼーモロがリストランテ・カバリーノに向かって平然と歩いていたものだ。信じられない光景だったけど、そういうイタリアは、胡散臭くて,怪しくて、混沌としていて、そして最高にカッコ良かった。

☆☆☆☆

 最新のニュースを最後にひとつ。
11月15日、フィアット社会長のジョバンニ・アニエッリのひとり息子、エドワルド・アニエッリが、トリノ郊外の橋の上からその身を翻した。自殺だった。今年46歳、独身のエドワルドはクルマの世界には身を置かず、コンピュータ関連の会社を経営していたとのことだ。

ドラッグとインターネットが彼の生活のすべてだった、と夕方のバールではこの話題でもちきりで、ありあまる富をもってしてもその絶望から逃れられなかったエドワルドの悲劇を前にして、誰かが「人生は金じゃない」なんていう世界共通 の常套句を言って、「じゃあ俺にくれ」と即座に合いの手を入れた男と最後はつかみあい寸前にまでなってしまい、混乱のうちに結局はいくつもの議論の輪が出来あがっていた。いつのまにか外は大雨になっていた。

議論の輪に入れもせずに僕は、古いパンダの方がやっぱりいい、とこの直情直行のイタリア人達を眺めながら思っていた。




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