イタリア自動車雑貨店
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第22回 パンダの日々



 30年におよぶ僕のクルマ遍歴の中で、もっとも長い間生活をともにしたクルマは、フィアット・パンダである。パンダを買うまで、クルマ選択の第一の基準は、速いかどうか、だったから、そもそも1リッターそこそこの実用車などに興味があったわけではなかった。パンダの、そのデザインの好ましさはともかく、理不尽に腰高なフォルムはどうにも馴染めなかったし、クルマ自体の話ではないけれど、日本版カタログにある、ダブルサンルーフからテニスラケットがのぞいているような、インポーターの嘘っぽいイメージづくりもいやだった。

それなのに、パンダを買った。ひとことで言えば、気の迷い、である。一般的な話にしてしまえばそれは、人生には理性や道理では説明できないような選択をすることがままある、という程度のことだけれど、それ以前にもやはり気が迷った時に、ルノー・エクスプレスを買ったこともあった。余談になるけれど、エクスプレスはいわゆる「外車」の匂いをプンプンさせたエキセントリックなクルマだったけど、積むべき荷物もない僕には、背後の広大なラゲッジスペースが底なしの空虚さのように思えて、なんだかいつも背中が寒かった。

空の青、FIATの青。トリノの大きな フィアット・ディーラーです。
  パンダがやってきた日のことは、いまでもストップモーションの画像のようにして僕の内に残っている。はれのご対面の日、コーンズのセールス氏が納めてくれた真っ赤な我がパンダが、それまでデルタ・エヴォルツィオーネの指定席だった駐車スペースに頭から突っ込んで停められていた。

その光景がマンションの2階の玄関を出た瞬間に目に飛び込んできた。うっ、カッコ悪い。リア・フェンダーの内側が丸見えになるほどお尻が上がっている。まるで作りかけの自動車がそのまま持ってこられたような、そんな風情をパンダは漂わせていた。

それから、もう買ってしまったのだから試乗とは言わないのだろうけど、試乗もせずに買ったので、とにかく、初めてパンダというクルマを試乗、いや、運転してみた。着座位置が高くて、身体を全然ホールドしないシートや、ローで引っ張ってもすぐ頭打ちになるエンジンはエクスプレスと同じだったけど、それまでのデルタとの落差があまりにも激しくて、内心ちょっと気落ちした。自分の選択の正しさをなんとか見つけ出そうとしたけれど、結局その日は、ほんの2〜3キロ走らせただけでクルマから降りてしまった。

なんかなあ、なんか失敗したんじゃないの……、という声が自分の内側から何度も何度も湧き上がってきた。その時はなんとしてもそれを認めたくないという気持が働いたけれど、実際に失敗だったのだ。今、思っても、いや、今だからこそもっとはっきりとわかるのだけれど、パンダを買ったことは、ことクルマとの相性という観点からみれば、あるいは、僕という人間がそれまでクルマというものに求めていた極めて情緒的な要素のあるなしからみれば、僕にとって最大の失敗に違いなかった。

☆☆

 ルノー・エクスプレスは新車で買って、しかもそれに6ヶ月しか乗らないという無駄なことをして、それでもその頃は自分の浅はかさを悔いていればよかったけれど、パンダの場合はちょっと事情が違った。失敗したからといって、すぐ買い換えるなんてとても出来ない相談だった。

インテグラーレを売った代金は『イタリア自動車雑貨店』の開店資金の一部に消えていたし、実際、店のオープンを控えたその頃の僕の精神状態は、クルマどころじゃない、という感じだった。そのクルマどころじゃない、という逼迫した状況(精神的にも経済的にも)のゆえに、自分の好みとは微妙にズレたクルマの存在がどうにか許せていたのだ。あらゆる意味で暇だったら、僕は毎日このクルマを嘆き、このクルマをどうにかしてやろうと、そんな算段に明け暮れていたことだろう。

とにかく、駐車場にパンダが居座っている毎日が始まった。

クルマが好きな人ならおおよそ誰もがそうであるように、駐車場の自分のクルマに向かって行く瞬間に、ああ、やっぱりこれカッコいいなあ、なんてニヤリとすることが、そんなふうに人知れずニヤついていることが、それまでの僕には確かにあったけれど、でも、このパンダではついぞなかった。前から、横から、あるいは後ろから眺めたり、ちょっと角度をかえて斜め前に回ったり、斜め後ろに立ってみたり、と男は誰でもそんなばかげた夕暮れが大好きだけど、そんなナルシシズム的な時間を過ごすことも、とんとなくなってしまった。

その大きなフィアット・ディーラで開催されたPanda Dayのポスター。パンダは今でもベストセラー。
  クルマを洗ったり、磨いたりという、走るという本質的なこと以外に自動車というものがもたらす「カーライフ」は、つまるところそのクルマにどれほど惚れこんでいるかということによってその密度も異なるから、その意味における自動車生活というものは、もはや遠いところにいってしまったのだ。

リアのスプリング丸出しの宙に浮いたような車高の高さを除けば、特にこれといってどうしてもイヤダというところがあったわけでもないけれど、その反対に、誰がどう言おうとここが好き、というところがあるわけでもなかった。惚れ惚れするなんていうことからは、パンダはやっぱり遠いクルマだったのだ。

だから、クルマの中でもクルマのことを考えたりはしなくなった。考えていることといえば、まだ具体的なカタチさえ見えてこない、自分がこれからやろうとしている仕事、つまり、『イタリア自動車雑貨店』のことばかりだった。キーホルダーが1個2000円として、それが1日10個売れたとして2万円か…、いや、1日に10個も売れるわけがない。となると、ほかにそんなに売るものもないし、こんな店は果たして成り立つのか、なんてことを来る日も来る日も考えていた。

違っていたのは、日によって例にあげる対象がステッカーだったり、ピンバッジになったりで、基本的には同じ不安を俎上に乗せてはそれをまた打ち消すなんてことを、堂々巡りで繰り返していたにすぎないのだけれど。

まあ、そんなふうにしてパンダは僕自身の日常の中に根をおろしていった。溺愛してくれるオーナーに恵まれなかったのは、このパンダにとって不幸だったかもしれないけど、そのかわりと言ってはなんだが、1年365日、まさに毎日走らせてやった。5000回転を越えて回しても無意味なエンジンだけど、もたついてほかのクルマから邪魔者扱いされるのも癪なので、いつでも全開!の心意気でアクセルを踏んだ。

1万キロを過ぎても、2万キロをあとにしても、ただの一度もディーラーの整備を受けさせてもやらなかったけど、オイルだけは僕自身の手でまめに交換してやった。ラクダに水をやるような心境だったのか。

パンダは走った。僕の期待、いや僕の無関心を背に、淡々かつ激しく走った。オーナーの思い入れの少なさなんてどこ吹く風である。どこ吹く風のフィアット・パンダ。いいなあ、独立独歩で、すがすがしくて。はるばるイタリアから極東の島国にやってきたこのクルマは、案外男っぽいクルマだった。

☆☆☆

 こんなふうにして、僕は常にパンダと付かず離れずの距離を保ってこの6年間付き合ってきた。蹴飛ばしたくなるほどにイヤになったことも一度や二度ではなかったけれど、今もなお我が赤いパンダは店の脇の駐車スペースに当然のような顔をして鎮座している。

6年前、店はオープンしたもののお客さんも全然来ない暇な毎日の中で、ほかにやることもなく、ひたすらこのパンダをいじり倒したから、今では納車の日の面影なんてどこにも残っちゃいない。尻高のフォルムも、ルーフを含めた室内の内張りも、鮮やかだったスイフト・レッドの外板色も、そしてリアシートさえ消えうせた。こんなふうにパンダは、6年間約9万キロという歳月に値するだけ、いや、もしかしたらそれ以上に、いろんなものをなくした。なにより、僕自身がパンダを全開にして走り回ることがめっきり少なくなってしまった。

イタリアを歩いていると、路上に無造作に停められたパンダの姿を頻繁に目にする。その脇を足早に通り過ぎながら、そのたびに、ちらっとそれに視線を走らせる自分自身がいるのを僕は知っている。なんとなく目がいってしまう。ああ、パンダを走らせていないなあ、と思ったりする。ドアを開けて、シートに腰を下ろした時に感じる、あのフィアットの、いや、いまではもうパンダでしか感じられないフィアット車独特の、機械っぽい匂いが甦ってきたりする。

Panda Dayの日のディーラーの内部。いろんな仕様のパンダが並んでいたけれど、午後一番の時間に訪れた客は僕ひとりだけ。なにがPanda Dayなんだか。
  自分にとってパンダは、趣味として捉えられる自動車という範疇において、どうころんでもベストカーなどではなかった。自動車雑誌が書くように、ジウジアーロ云々の立派な能書きも僕にはどうでも良かった。イタリアの人の暮らしに寄り添った、なんていうそれらしいフレーズにも、クルマはこれで十分だ、などという理性的な論評にも、地球に優しいだの、クルマの原点だの、そう、ありとあらゆるパンダへの愛情溢れる賛辞にも、僕はなんだか与できないでいる。なぜなら、僕は暮らしなど放り投げるような気概を胸に、250km/h出るクルマで、アウトストラーダを風のように飛んでいきたいと思うから。

では、なぜ、さしたる愛情も注がず、ベストカーにもなりえなかったクルマが、一番長く手許にとどまり、なおかつ今現在も存在しているのか、と問われると、それはちょっと答えに詰まる。

財布に負担をかけない大衆のクルマとして、つまりベーシックなトランスポーターとして、パンダはある時代において確かに歴史に残る傑作車であったには違いないし、僕におけるパンダも、まさにその意味合いにおいて存在し続けていたのだけれど、では、これが日本では稀なイタリア車ということで、否応なしにクルマ好きの琴線に迫ってくるようなオーラを持ったクルマだったかというと、決してそんな特別なものではなかったと思う。少なくとも僕にとってはそうではなかった。僕自身のパンダとの付き合い方が、何よりもそれを物語っている。

だがしかし、自ら120%それを認めた上で、6年の歳月を経ていま僕の内に残るのは、パンダへの限りない「友情」である。宝物のように大切に扱っていたクルマには決して抱くことのなかった「友情」である。信号グランプリで覆面パトカーに勝利して捕まったという誇るべき戦績をも持つこの友人を、僕はきっと生涯忘れないだろう。

僕の忠実な相棒として、この風のように過ぎた年月の変化を受け止めたパンダが、願わくば、明日も店の脇の小さな駐車スペースで、夕陽にヘッドライトをキラッと光らせてなんかいればいいと思う。どこ吹く風の、あの風情で……。“クルマどころじゃない”てんやわんやの頃に、パキパキの鉄板ボディで遥かイタリアからやってきたこのパンダには、僕の上を流れたのとそっくり同じ6年間が積もっている。少なくとも、僕には、それが見える。




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